【連載短編小説】畑の声 — 夏編「悲しいひまわり」|ひと夏の畑で起きた、命と種の約束の物語

畑の声 第一話・第二話 | Kuwatote キッチン 畑の声 — 夏編 | Kuwatote キッチン
畑の声 — 第一話

悲しいひまわり

夏 — ある畑の入り口にて
🌻

七月も終わりに近づいた、うだるような午後のことだった。

この畑には必ず花が咲いている。マリーゴールド、コスモス、バジルの小さな白い花——野菜の畝と畝のあいだに、おばあさんは毎年欠かさず花を植えた。

「花があれば、虫たちが来てくれるからね」とおばあさんはよく言った。「農薬なんか使わんでも、みんなで助け合えばうまいことなるんよ」

マリーゴールドの橙色がミツバチを呼び、ミツバチが来れば花に実がなる。カマキリが葉陰でじっと待ち、害虫から野菜を守る。ミミズが土を耕し、カエルが虫を追いかける。それぞれがそれぞれの役割を持ちながら、この畑はひとつの命のかたちを作っていた。七十五歳になった今も、おばあさんはそのことを誰よりもよく知っていた。

夏になるとひまわりを植える。雑草を刈り取ったあとの場所に種をまくのが、おばあさんのやり方だった。「雑草を刈ったあと、何を植えるの?」と聞かれると、いつも迷わず答えた。「ひまわり」と。

その年も、畑の奥にひまわりが育った。仲間たちは畝に沿って肩を寄せ合うように並んで咲いている。夏の日差しを思い切り浴びて、風が来るたびにいっせいに揺れる。まるで笑い声が聞こえてきそうだった。

でもその子だけは、入り口のそばにぽつんと立っていた。

茎はほかの子より少し太くて、背丈は低い。でも花だけはどこよりも大きく開いている。種が雨に流されたのか、風に運ばれたのか——それはわからない。ただ、気がついたらそこにいたのだ。仲間たちの笑い声は、きっとここまでは届かない。

「あなた、聞こえてる? おーい」

おばあさんが声をかけると、ひまわりは少しだけ頭を揺らした。風のせいかもしれない。でもおばあさんには、聞こえているよと言っているように思えた。それからというもの、毎朝畑に出るたびに、おばあさんはまずこの子に声をかけるようになった。

「おはよう。今日も暑いねえ。水、もらったかい」

ひまわりは何も言わない。でもおばあさんには、その表情から気持ちが伝わってくるような気がしていた。その日も花びらの縁に、ほんの少し影があった。みんなの声が聞こえなくて、少し心細いのかもしれない。

◆ ◆ ◆

八月に入って最初の週、熱波がやってきた。

朝から気温が上がり、午後には空がまるで白く焼けるようだった。おばあさんはいつもどおり畑に出て、水をやり、草を抜き、ひまわりに声をかけた。でも体の芯がじわじわと熱くなっていくのがわかった。

「少し休もうかね……」

そう呟いて、おばあさんは畑のそばに腰をおろした。ミツバチの羽音が、だんだん遠くなってゆく。目の前の景色がゆらゆらと揺れて——そのまま、意識が遠のいた。

— 夢のなか —

どこまでも広い畑の中に、おばあさんは立っていた。

花も野菜も虫も鳥も、みんなが声を持っていた。マリーゴールドとミツバチが話し込んでいる。カマキリが「わたしが畑を守ってるのよ」と誇らしそうに胸を張る。あちこちでざわざわとにぎやかだった。

そのとき、ふと気配がして振り返ると——入り口のそばに、あの子が立っていた。

「あなた、ここにいたの」

おばあさんが近づくと、ひまわりがゆっくりと口を開いた。夢の中では、言葉が出てきた。

「おばあさん。毎日来てくれてたね」

「もちろんよ。仲間から離れて、寂しくなかったかい?」

「寂しかった。でもおばあさんが毎朝来てくれた。だから、大丈夫だった」

「ねえ、おばあさん。倒れちゃったの?」

「そうみたいね。お恥ずかしい」

「怖かった。動かなくなっちゃったから」

「心配してくれたの。ありがとう。明日もおはようって言いに来るよ」

「約束?」

「約束」

そのとき、ほおに何かがあたった。ぽつ、ぽつ。雨かと思った。

目を開けると、夕暮れの空があった。

ほおがぬれている。すぐそこに、大きなひまわりの顔があった。花びらの先から、しずくが落ちていた。

「……泣いとったんかい」

おばあさんはゆっくりと体を起こして、その大きな花を両手でそっと包んだ。ひまわりは何も言わない。でも今のおばあさんには、その表情がわかった。怖かった、と言っている。ひとりで怖かった、と。

「そうかそうか。心配してくれたんやね。ありがとう」

西の空が橙色に染まって、畑全体が金色に光っていた。

「ひとりでも、こんなに大きく育って咲けたやんか。大したもんよ」

明日も元気でここに来ようと、おばあさんは思った。おはようって言いに。約束したから。

🌱
作者より

この畑では、誰もひとりにはならない。たとえ離れた場所に咲いていても——おばあさんが毎日声をかけに来るから。

◆ 次の話へ ◆
畑の声 — 第二話

真っ赤な命

夏 — 畑のトマトの話
🍅

おばあさんが毎朝まず挨拶に行くのは、ひまわりだけではなかった。

畑の一番奥の畝に、今年もトマトが育っている。六月に黄色い小さな花が咲いたとき、おばあさんは手でそっと揺らしてやった。

「受粉、手伝ってあげるよ」

おばあさんの畑にはいつもミツバチが来る。マリーゴールドの橙色に引き寄せられたミツバチが、気づけばトマトの花にも立ち寄っていく。花から花へ、命から命へ。受粉から一週間ほどで、小さな緑の実が膨らみ始めた。

「あなた、ずいぶん大きくなったねえ」

七月になると、緑だった実が少しずつ色づいてきた。はじめはうっすらとオレンジ、それからだんだんと深い赤に変わっていく。

「赤くなればなるほど、体にええものが増えてるんよ。急がんでええ、じっくり熟んでおくれ」

そのトマトに目をつけたのが、カメムシだった。しかしそこへ、葉陰からカマキリがすっと現れた。三角形の頭をぐるりと回し、じっとカメムシを見る。それだけで、カメムシは逃げていった。

「ありがとうね、カマキリさん」

カマキリは鎌をゆっくり持ち上げた。どういたしまして、と言っているようだった。

◆ ◆ ◆

八月のある朝、おばあさんはトマトの前で足を止めた。真っ赤に熟れた実が、朝の光を受けてつやつやと光っている。

「よし。今日がちょうどええ日やね」

おばあさんはそっと実をつかんで、ひねるようにして摘み取った。手のひらにずしりとした重さが伝わってくる。

「皮をむかんと食べるのよ。種のまわりのゼリーも捨てたらもったいない」

誰に言うわけでもなく、でもどこかに聞かせるように。

— その夜の夢のなか —

台所でトマトを切っていると、うとうとしてきた。

夢の中で、トマトが話しかけてきた。切られながら、笑っていた。

「おばあさん、今日摘んでくれてよかった。ちょうどよかったよ」

「そう? あなたも感じてたの、今日が頃合いだって」

「うん。もうこれ以上赤くなれないくらい、赤くなった気がしてた。リコピンも、ぎっしり詰めたよ」

おばあさんは種が白いゼリーに包まれた断面を見た。

「この種、また土に戻してあげようか」

「うれしい。でも食べてもらってもうれしいんよ」

「どうして?」

「おばあさんの体の中で、わたしが生き続けるから」

おばあさんはしばらく黙っていた。それから、静かに笑った。

「そうやねえ。そういうことやねえ」

🍅 トマトの命を余すところなく

赤い色素「リコピン」は皮に多く、種のまわりのゼリーにはアミノ酸が豊富。皮ごと・ゼリーごと、一滴も捨てずに。油と一緒に加熱すると吸収率がさらに高まります。

その夜、おばあさんはトマトをオリーブオイルで炒めて、スープにした。皮も、種のまわりのゼリーも、何ひとつ捨てなかった。

「ごちそうさまでした」

おばあさんは小さく手を合わせた。命をいただくたびに、そうする。それがこの畑を続けてきた、おばあさんのやり方だった。

🌱
作者より

皮も種も、すべてに意味がある。食べることは、その命をまるごと受け取ること。

つづく

第三話「葉っぱの屋根」・第四話「畑の守り手たち」へ

畑の声 夏編 第一話・第二話

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山口かをる(畑料理研究家)
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