いまでは世界中で食べられているトマトですが、世界の食卓に並ぶまでには、長い時間がかかりました。
野山に、見たことのない実がなっている。
「赤く熟している。鳥や動物は食べている。でも、人が食べても大丈夫なのだろうか…」
いま私たちが何気なく口にしている食べ物にも、
遠い昔、初めて食べてみた人がいたはずです。
トマトもそうでした。

南米に育っていた野生の小さな実を、誰かが口にした。
ある人は、青くさいと、
ある人は、おいしいと感じたのかもしれません。
もっと実の大きなもの、甘いもの、たくさん実るものを選び、
種を採って育てた人もいたでしょう。
何世代もの人が種を選び、育て、食べることを繰り返すうちに、
野生の植物は少しずつ、人の食べ物になっていきました。
そして海を渡ったあとには、新しい土地で、新しい食べ方が生まれていきました。
見たことのない赤い実を育て、切ってみる。火にかけてみる。
塩を振ったり、別の食材と合わせてみる。
おいしければ、また作る。
家族が食べる。
隣の人や離れて暮らす親戚にも伝わる。
市場に並ぶ。
トマトが世界の食卓へたどり着くまでには、たくさんの人たちの勇気と発見があったのではないでしょうか。
スペインのガスパチョ、
メキシコのサルサ、
インドのカレー…
どれも、トマトが昔から身近であったように見えます。
でも、トマトの故郷はヨーロッパでも、インドでもありません。
南北アメリカ大陸から始まったトマト
トマトの野生近縁種が分布するのは、南米アンデス地域。

ペルーやエクアドルなどには、今のトマトよりずっと小さな実をつける野生の仲間が育っています。
そこから現在の栽培トマトが生まれるまでの道筋は、まだ完全には解明されていません。
近年の遺伝子研究から見えてきたのは、単純に「南米で生まれ、メキシコで大きくなった」という一直線の歴史ではないことです。
南米から北へ移動する途中で、実の大きさや性質は変化し、人による選択も重なったと考えられています。
そして現在の栽培トマトにつながる系統は、メキシコで成立していきました。
トマト自身が移動し、人が育て、また種を選ぶ。
世界へ出るよりずっと前から、トマトはすでに旅をしていたのです。
メキシコでは、すでに食べ物だった
16世紀初め。
スペイン人が現在のメキシコへやってきたころ、そこには大都市テノチティトランがありました。
大きな市場には、トウモロコシ、豆、カカオ、唐辛子をはじめ、さまざまな食材が集まっていました。

トマトも、そのひとつでした。
唐辛子と合わせ、ソースにする。
肉や魚、野菜と食べる。
ヨーロッパの人々がトマトを初めて目にしたころ、メキシコではすでに、トマトをおいしく食べる知恵が育っていたのです。

トマトが、海を渡る
16世紀。
スペイン人たちは、アメリカ大陸からさまざまな植物をヨーロッパへ持ち帰りました。
じゃがいも、トウモロコシ、
カカオ、
唐辛子。
そして、トマト。
唐辛子編で追いかけた、あの大きな植物の移動と同じ時代です。
海を渡った種は、スペインからヨーロッパ各地へ広がっていきました。
1544年には、イタリアの医師で植物学者のピエトロ・アンドレア・マッティオリが、この新しい植物について記録しています。
けれども、ヨーロッパに着いたからといって、すぐに現在のような食材になったわけではありません。
植物学者たちはその姿や性質を観察し、庭で育てる人も現れます。
食べられることは知られながらも、体によくないのではないかと考える人もいました。
珍しい、美しい実。
食べられるらしい。
でも、よくわからない…
そんな時間が続きます。
1692年、ナポリ
トマトがヨーロッパへ渡ってから、およそ150年。
ナポリで一冊の料理書が出版されました。
料理人アントニオ・ラティーニの『Lo scalco alla moderna』です。
そこに、トマトを使ったソースが登場します。

熟したトマトを火であぶり、皮をむいて細かく刻む。
玉ねぎを刻む。少量のハーブ。油、酢、塩。
そして、唐辛子。
アメリカ大陸を北へ旅したトマト、
同じ大陸から渡ってきた唐辛子。
二つの植物は海を越え、1692年、ナポリの料理書の中で、再びひとつの料理になっていました。
植物は、自分で料理を選びません。
海を渡らせたのも、畑に植えたのも、食べ方を考えたのも人でした。
トマトを焼く。皮をむく。玉ねぎや唐辛子と刻み、油と酢、塩を合わせる。
そうして新しい土地で、新しい味が生まれていきます。
やがてトマトは、パスタと出会います。

そして、トマトのないイタリア料理を想像することが難しいほど、この土地の味になっていきます。
けれど、それはもう少し先の話。
トマトの旅は、まだ始まったばかりです。